愛と恋の違いについては様々な見解があってよく分からないですよね。
私自身、自分は誰からも愛されていない、どうしたら人に愛してもらえるだろうか、愛されたい、愛されたい、というネガティブなマインドでずっと生きていたので愛や恋についてよく考えていました。
この記事ではそんな私がやっと納得した違いを紹介しています。
愛と恋の違いは?
愛は、自然なもの・恋は、自然でないもの
相手が持っているネガティブな側面をどれだけ受け入れられるか?ということで愛と恋は、分かれるといえます。
例えば、容姿が好みで、仕事が出来て、いつも明るくて優しい男性がいたとします。あなたはこの男性を好きになったとします。
この男性に対してドキドキする、大好きでたまらない、私は彼のためなら何でもする、と思ってもそれは愛とは呼びません。これは恋をしている状態といえます。
なぜかというと、ネガティブな側面を受け入れていないからですね。
どんなに素敵に見えたとしても、人には、ポジティブな側面と同じだけのガティブな即面が存在します。
そして、その両方を理解したとき、ドキドキしたり、変な高揚感を感じることはなくなるんですね。
良い意味でなんとも思わなくなったとき、それでもその人に尽くす心を、愛と呼びます。
この世の全てのものは、ポジティブとネガティブのバランスを取りながら存在しています。
どんなに素的に見えたとしても、そうあるべくして、そうあるだけで、よくよく知れば、そのことや人は特別でもすごいわけではないのですね。
相手のポジティブな側面とネガティブな側面の両方を知り、この人は素敵過ぎもしないしダメすぎもしないんだ、ということが分かった状態、そしてその上で、この人がどんな人でもこの人が大切、と思えることが愛です。
この人のダメなところも嫌いなところもそれでいいと、ただただ相手の存在に感謝をしたときにそこに愛が存在します。
愛というのは、ポジティブとネガティブの真ん中にある中立的で絶対的なものといえます。
愛とは?
恋してトキメキたい人は残念かもしれませんが、愛は、どこにでもあるもののことをいいます。
親子の間に発生する愛、友達との間に発生する愛、どこかの知らない子供に対して感じる愛、
植物に対して感じる愛、道端を歩く野良猫に感じる愛、音楽を聴いていると感じる愛。
地面に落ちている石ころを愛することも出来ますし、嘘つきな人を愛することも出来ます。
自分を傷つけた人や、嫌いな人も愛すことが出来ますし、自分の中の嫌いなところも愛すことが出来ます。
愛は恋のように、トキメキやドキドキ、高揚感などがないいものをさします。
また、愛は自分の心の中にいつでもあるので、感じようとすればいつでもどこでもあなた自身の力で感じることができます。
物事のネガティブな側面とポジティブな側面を両方受け入れ、そのままを大切に思うことが愛です。
私たち人間を含めて、いつでもポジティブとネガティブのバランスを取って存在しているこの世界そのものは愛でできています。
ちょっと分かりづらいかもしれませんが、何か伝わっていれば幸いです。
ちなみに性欲は愛ではなく、食欲・睡眠欲に並ぶ肉体的欲求です。精神的な存在である私たちにとって、性欲は愛とは無関係です。
悪いものということではありません。
恋ってなに?
恋は、盲目、思い込み、勘違い、憧れ、性欲、などよく聞きますが、本質的にはどういうことかというと、相手の一部分にフォーカスが当たって、全てが見えていない状態だということです。
相手の素敵なところや憧れる一面を見て、かたよった見方をしている状態といえるでしょう。
これは、ポジティブとネガティブ両方を持っている本来の相手を見ることが出来ていない状態で、ありのままの相手を受け入れてはいないということになります。
もちろん悪いものでもなく、恋から始まる愛を、恋愛といいます。
ただ、相手の一部分だけ捉えていると、それは相手の実際の状態とは違ったものということになります。
ポジティブな側面に偏っている分だけ、それは相手に期待している状態ということになるので気をつけましょう。
期待するというのは、関係にヒビが入る原因になります。
人を愛せるようになるには?
人を愛せるようになるには、まず、自分を愛せるようになることが大切です。
人を愛せるようになるには、まず、自分のことを愛せるようにならないといけません。
自分なんか嫌いだ、という言葉を日々自分に投げかけている人は、人に対して、あなたなんて嫌いだ、と必ず思ってしまいます。
私って素敵な人だな大好き、という言葉を日々自分に投げかけている人は、人に対して、あなたって素敵な人だな大好き、と思ってしまいます。
人を愛せるようになりたいときは、まず、自分を愛せるようになりましょう。
愛について理解を深めたい人に、この本がお勧めです。